墨攻

繰り返して読むべき本「墨攻」

筆者が迷ったら読む本、それが墨子集団を描いた墨攻です。

正義なき力は暴力なり。

力なき正義は無力なり。

春秋戦国時代の中国。陥落寸前の城を救うために現れた墨家の男、革離(かくり)。

彼こそ、専守防衛、攻撃せずに守り抜くという、墨家が奉じる信念に殉ずる人です。

筆者が高校時代に手にとってそのまま一気読みしてから、繰り返し読んで自分の立ち位置を確かめる本です。

超人墨子

時ははるか昔、500年間続く、紀元前中国の春秋戦国時代。

常在戦場といいますか、常に殺したり殺されたり、戦いが日常の世の中において、兼愛(全てのものに愛)を叫んだ超人が現れます。

名前は墨子。

行き着くところまでいってしまった理想主義者です。

同時代に勃興してきた孔子率いる儒家の説く博愛思想「仁」すら、それは卑しい差別愛だと一蹴します。

もちろん、理想だけに逃げ込んでいては、世間の支持は得られません。

墨子は、城(街)を守る守城のスペシャリスト、超常能力者として、自らの価値を限界まで高めます。

どんなに攻められても陥ちない城を守る、城の防人(さきもり)となるのです。

守城において連戦連勝、その卓越した戦略眼と知見、人々を束ねる統率力、どの国の将軍もかなわない人間としての限界を超えた能力を見せつけ、最も戦いが嫌いなくせに、戦えば必ず完璧に防御する、という現実世界での卓越した成果を上げ続ける、そのようなまさに超人だったわけです。

この超人・墨子の凄いところは、これだけ現実世界での能力を見せつけておきながら、金や地位に転ぶことがなく、ひたすら自らの理想を追求し、自らの弟子に対しても、自らレベルの高みを求めず、自分が目指しているものの1%でも弟子や部下が理解するだけで感激しさらに理想に燃えるという、その、一般人なら萎えて当然の理想と現実とのギャップをそのまま理解し飲み込み、その双方に対して真摯に向き合い最大船速で駆け抜けた、熱き人間力、人格力、人間の軸の太さであります。

墨子の弟子の99%は、その守城ノウハウによる戦略や戦術、戦いの極意や奥義を学ぶために集まったに過ぎず、彼の提唱する「兼愛」に惹かれて集ったものなどほとんどいなかったものと思われます。

しかし、墨子のその人間性に触れ、彼らも変わっていくのです。

300人いた弟子たちは、墨子の死をもって、その教育を「完成」させ、あたかも墨子が300人に分離し増えたように、中国全土に墨家集団は広まり各国に広がっていくのです。

そんな300人の弟子のさらにまた弟子が、墨攻の主人公、革離です。

忽然と歴史から消えた墨子

しかしながら、守城のノウハウによる兼愛精神という教化集団は、そこから忽然と、歴史から姿を消してしまいます。

思想的には墨子に言わせれば「純度の低い」儒家に切り崩され、頼みの綱であった守城ノウハウは超大国秦の圧倒的な物量兵力攻城作戦によって打ち崩されてしまったのでしょう。

一瞬歴史に光を放ちましたがその後消えてしまった思想、成果の一つだったのです。

しかし、2,000年の時を経て、墨子の思想は忽然と消えた故にほぼ現存する形で伝えられ(忘れ去られた故に後世の改変も少なく)、今の我々に非常に重要な示唆を与えてくれます。

さすが超人・墨子。

まさに思想のタイムカプセルです。

ゴッホが死後評価されたくらいのタイミングではありません、2,000年後です。

この、一個人としての人間がどこまで高みに達することができるか、高みに達しながら現実世界での文句ない業績事績を上げて、そして理想現実双方の成果を同時に、最大戦速での熱量で追い求め駆け抜けた人生、これが筆者のような歴史学徒に、墨子こそ古今東西の歴史の中で群を抜いた第1等の人物だと言わせしめる所以なのです。

墨攻、読んでください。

この本を読んで、一人でも多くの人が、自分の人生を自分ごととして捉え、しっかりと生きてきちんと死ぬことを願ってやみません。

以上