真珠湾攻撃より81年

真珠湾攻撃とは

かつて、ABCD包囲陣とか石油禁輸とか、ハルノートなどという、文明国にあらざる非道を受けた我が国日本は、起死回生の一手として、敵国連合国たちの胴元の米国太平洋艦隊の本拠地、ハワイオアフ島パールハーバー(真珠湾)に機動部隊空母6隻に満載した零戦や艦攻艦爆ら400機で一斉航空攻撃をかけました。1941年12月8日のことです。

12月8日はジョンレノンが狂信的ファンに殺害された日としても有名なようですが、日本人たるもの、ご先祖さまたちが世界を驚かした、この航空母艦機動部隊による航空戦力一斉攻撃という世界戦史にも類を見ない戦法をやってのけた、ということに思いを致していただきたいと思います。

確かに零戦は終戦間際はその優位性も失われ、特攻機としても使われましたが、この当時は世界最新鋭の文字通り空飛ぶ悪魔として、大空を雄飛しはるか彼方、5,000kmの波濤を越えてハワイ沖までやってきたのです。そして世界最強の海軍国であったアメリカ太平洋艦隊を文字通り本拠地で撃滅殲滅しました。

日本の底力を一番身に染みてわかっているのは、そして日本の本当の恐ろしさを味わい今に伝えているのは、他ならぬこの連合国の胴元の米国、アメリカ合衆国の陸軍や海軍、そして海兵隊の面々なのです。日本人自体が忘れかけているかもしれませんが、これは確かな歴史の事実であり、そして我々も意識していないかもしれませんが、このご先祖さまたちの血と汗と涙は必ず我々に受け継がれているのです。

そういうことを言いたいです。

追伸

かの国ら、アメリカはじめ連合国は、戦争という定義、人の道を大きく外した①東京大空襲、②沖縄戦、③広島原爆投下、④長崎原爆投下、という戦争の名に値しない非道を我が国に行いました。①②③④それぞれで、10万人以上の死者を出したのです。ほとんどが無辜の民、市民であり非戦闘員です。硫黄島を36日間死守して果てた栗林忠道中将以下2万の名もなき日本軍将兵、沖縄に展開した米国空母部隊に航空特攻、海上特攻を行い亡くなった2万の陸海軍将兵たち、これみな明日の日本を守るために戦い散っていきました。犯罪の風上にもおけない、大量殺戮に過ぎない戦争犯罪に手を染めた米国以下連合国の振る舞いは、いくら口を拭い続けても歴史の法廷によってきっちり裁かれるでしょう。連合国がそのまま今の国連、UNになったのです。英語原語でUnited Nationsで全く同じです。そのようなことが世界中で、ようやく明らかになりつつあることを、心の底から喜び、そして泉下に眠るご先祖様方にお知らせしたいと考えています。勝った奴らが全て偉いわけではありません。勝てないから戦うべきではなかった、などという偉そうな後講釈で国内一部世論をぶっているそこらの皆さん、日本国が日本国の誇りをかけて、非礼の限りを受けて立ち上がったその真実を、いかに理解するのか、ご先祖様たちに顔向けできるのか問いたいです。

筆者の亡くなった母方の祖父は、日本海軍、宇佐海軍航空隊に所属し、零戦艦攻艦爆の少年整備兵として従軍しました。多くの戦闘機や爆撃機を見送り、中には鹿屋や知覧経由の特攻機も見送ったのです。同じく亡くなった母方の弟2人は、ひとりはビルマで、ひとりは大和特攻で戦死しました。グラマンヘルキャットの機銃掃射を掻い潜り、生き残った祖父と、八幡大空襲を受けて避難し生き残った祖母がいるから命がつながり、そうして今の私があるのです。

そういうことを言いたいです。

以上