塩貝選手

『塩貝をなぜ出さなかった 森保監督の限界』

 7月1日になりました。

 ブラジル🇧🇷戦が終了し、新聞、テレビ、SNSに色々な議論があふれています。そこにサッカーどしろうとの僕が総括しても何の意味もないわけですので、一点に絞って言わせてもらいます。

 《なぜ、塩貝を出さなかったのか それが残念》

 試合後、結果的にゴールのきっかけをつくった田中蒼選手をブラジル選手が抱きかかえて慰めています(写真)。

 一方、別なブラジル選手が誰かに向かって叫んでいるというか、ののしっています(写真)。

 試合前日の選手インタビューでの塩貝選手の発言が現地では大々的に、しかもかなり極端な訳し方で報道されて、現地では憤激が起きていたようです。

 塩貝選手のインタビュー映像を見ましたが、趣旨は、《ブラジルはかつてのブラジルではなくて、ネイマールも(全盛期の)同様だ》なので、いたって最もな発言で、誰だって、そうブラジル選手、サポーターだって思っていたことです。

 2002年の優勝した頃までのブラジルは、スーパースターが目白押しで、大会ベスト11を選んだら、ブラジル選手が半分くらい入ってくるようなスペシャルな存在でした。
 オレがオレがのお山の大将が、どうしたわけか本番ではシンクロして美しいハーモニーを奏で出したのがかつてのブラジルでした。

 それは誰もが感じていることなのに、こともあろうに、かつては、《サッカー下手の代名詞であった日本人》、しかも、聞いたこともない塩貝ごときに言われた(かなり曲解されて伝わってるが)ことが、図星を指されたことに憤激したわけです。

 さて試合です。前半は完璧だったのに後半は、諸般の事情(選手層の薄さ、主力のケガ、休養日のハンデ、グリープリーグの疲労、アンチェロッティ監督の采配 etc)で、防戦を余儀なくされました。

 そこで、森保監督は、二つの展望に賭けました。
ひとつは、耐えて耐えて、アトランタ五輪の《マイアミの奇跡》のようなラッキーパンチを待つ。
 もうひとつは、延長戦も耐え抜き、PK戦に持ち込む。PK戦は、戦況が不利な方が往々にして勝ったりするし、なにしろ鈴木ザイオンがいる。

 これは、考えとしては妥当ですが、指揮官としては凡庸です。彼にはもうひとつ手があったのではないか。それが

 《塩貝を出して勝負する》

 です。塩貝の守備は機能するかどうかなんてわかりません。町野の方が安全だし、彼のPKには信頼性抜群です。

 でも、ブラジルから見たらどうでしょうか?テレビコマーシャルで家族で怪獣に立ち向かう決めゼリフ、

 《このヤロー💢💢💢》

 じゃないでしょうか。
 名将アンチェロッティの采配で、ドイツ的(言い過ぎか)連動をしていたカナリヤ軍団が、オレがオレがの野放し集団になってしまわないだろうか。
 必要以上に塩貝をボッコボッコにしようと追い回さないだろうか。

 勝負の世界では、カッとなった方が負けるという箴言があります。

 いずれにしても、塩貝の出場は、ブラジル選手の心理に全く影響を及ぼさないということは考えられません。

 勝てばいいと思っていたトーナメントを、血祭りにあげたると思った途端に、試合の様相は変わるはずです。

 塩貝をいじめてぬいている最中に、田中蒼が、《愛理ぃ、人気者稼業やめて、僕の方に来てくれ❤️》と、ゴールに⚽️を流し込む、アナザーワールドが見えるような気がしたのは僕だけでしょうか。

 その時、ボッコボッコにされた塩貝のセリフ

 《今日はこのくらいにしといたるわ》

 こんなあったかもしれない世界を妄想します。

 余談1です。
 舌過という意味では、1989年の日本シリーズが思い出されます。
 三連勝した近鉄の加藤投手が《巨人は(最下位の)ロッテより弱い》と発言(実際塩貝と同じで曲解されて伝わった)し、憤激した巨人に、以後4発ぶん殴られた。この場合は、塩貝は(曲解とはいえ)余計なことを言ったということになります。

余談2です。
明治維新の時、幕府が降伏したあと、東北地方を平定するための先遣隊として、長州藩士(奇兵隊出身)の世良修蔵が送り込まれました。
世良は百姓あがりで、諸大名や重臣たちへの礼儀をわきまえていない傍若無人な行動で、憤激した藩士に斬殺され川に投げ込まれたんです。
それが、東北列藩同盟に繋がり、会津藩の悲劇になり、明治以降、東北は薩長に太平洋戦争が終わるまで苛められたのです。
世良がいくら酷くても、斬殺川放棄はやり過ぎで、一時の憤激が多数の人々の運命を狂わせた結果になりました。